喪中欠礼のはがきが来ました。
『母、礼子の喪中に付き・・・、サトミ』
たちまち35年前の風景が思い浮かびます。
僕が18歳で関東の大学へ入学した時のこと。
下宿は川崎のボロアパート。
今で言うワンルームだけど木造で、両端の部屋だけ2つの部屋が繋がった2DK。
僕の部屋はその隣の6畳と小さな台所がついた1Kの部屋で、トイレはあったが風呂は無し。
隣の部屋は礼子さんという30代半ばの子持ちバツイチで、子供はサトミという中学1年生の女の子だった。
ある日、大学から戻るとサトミが部屋の前でしょんぼりしていた。
「どうしたの?」
聞くと、今朝、鍵を持たずに学校へ行ってしまったそうだ。
可哀想なので、「お母さんが戻るまで、僕の部屋で待つ?」と言うと喜んでついて来た。
僕は彼女には興味がなかったので、部屋にあげて彼女の宿題を手伝ってやっていた。
やがて7時前になって礼子さんが戻り、訳を話してサトミを帰してあげると、物凄く恐縮されてしまった。
それから、よくサトミが自分の部屋に来るようになった。
宿題なんかを手伝ったりし、ボランティアで家庭教師をしてあげるようになった。
そうしたら、そのお礼ってことで朝食や夕食に呼ばれるようになった上、なぜかその部屋だけにあった風呂にも入れてくれるようになり、礼子さん一家と付き合いが始まった。
しばらくして夏休み前のこと。
いつものように夕食に呼ばれて風呂から出ると、サトミの姿がないことに気付いた。
「サトミちゃん、どうしたんですか?」
「林間学校で3日間キャンプに行ったのよ」
初めて礼子さんと2人だけの食事になり、学校のこととかの他に普段交わせない様なことも話題になった。
それは恋人がいるかとか、礼子さんが何で離婚したかとか、サトミがいてはちょっと言えないようなことだった。
そんな話をしているうち自分が童貞だということをバラしてしまい、礼子さんが好みだと言ったら、なんか雰囲気が一気にエロモードになってしまい、気がついたら肩を寄せ合ってキスしていました。
そこで一気に押し倒し、とうとうその夜、童貞を卒業しました。
深夜1時頃に一緒に寝るまで、一緒にお風呂に入ってイチャイチャを挟みつつ、5、6発くらい礼子さんの中に出しました。
結局、サトミが戻るまでの3日間、合計で20発くらい礼子さんの中に出したと思います。
サトミが戻ってからは、サトミが寝静まった頃、素っ裸にガウンをまとっただけの姿で自分の部屋に礼子さんが来てセックスをやりまくりました。
まだ19歳の頃で、毎日2、3発出しても次から次へと精液が出てきたものです。
前夜に3発出したばかりなのに、翌朝にはチンポがカチカチになり、母娘と朝食後、サトミが学校に行った瞬間に礼子さんを押し倒し、出勤着のスカートを捲り上げて後ろから1発出すなんてこともありました。
もちろん、その夜もちゃんと中に出していました。
礼子さんがどういう避妊をしていたかは知りませんが、とにかく一度も中出しを拒まれたことはありませんでした。
最初の1年ほどは、生理日以外ほとんど毎日抱いていましたが、全部中に出していました。
帰省中を除くと、だいたい200日はやっていました。
1回で最低でも2発、普通は3発やっていましたし、昼でサトミがいないときは、4発以上出したこともあるので、その1年で、700発は礼子さんの子宮に精液を注ぎこんだと思います。
さて、そんな関係がいつまでもサトミにバレないはずがありません。
体の関係ができて2ヶ月目で現場を見られました。
サトミによると、毎晩母親がガウンを着てそっと出ていくのは早くから知っていたとのこと。
もちろん、行く先は僕のところしかないのも・・・。
ただ最初は、僕が家庭教師もしていることもあって、自分の成績のことを相談していると思ったそうです。
それが違うと分かったのは、ある時、僕の部屋から帰った礼子さんが、ガウンを脱いで風呂場に入っていくのを見た時でした。
そうです、礼子さんは僕とのセックスの後、風呂でアソコを洗っていたのでした。
もちろんそれは、僕の部屋には風呂場が無いからでした。
セックスが終わると、ティッシュを2~3枚取って拭いた後、アソコに丸めて押し込んでいたんですが、それも自宅に帰るまで床に漏らさないためでした。
そして、運命のあの夜。
いつものようにキスの後、チンポを舐めさせ体を入れ替えて、僕が下で礼子が上になって69の体勢になり、僕が両手で礼子のマンコを広げてクリを舐めていると、ドアが開く音がしたのです。
振り返ると、サトミがそこにいました。
ちょうど礼子さんは、お尻をサトミに晒し、僕のチンポを頬張っていました。
僕は僕で、礼子さんのクリを舐めつつ、舌先が尻穴のすぐ下に伸びていました。
思わず息を呑む3人。
「イヤッ」と叫んで、サトミはパッと部屋を出て行きました。
跳ね起きて、ガウンを羽織らずに持ったまま裸で後を追う礼子さん。
チンポを勃たせたままボーとしていた自分。
3者3様の応対でした。
翌日の朝食はどうしようかと、意外と冷静だったのを覚えています。
それでもしばらくはサトミと顔を合わせられませんでした。