憧れの伯母と過ごした甘美な4年間

大学の4年間、東京に暮らしていました。
受験の時は伯母の家に泊まり、大学の4年間は伯母の探してくれたアパートで過ごしました。
伯母は父の姉で私立高校の教員。
年齢は31歳も年上でしたが、ずっと独身のためか、伯母より6歳も若い母よりも若々しく、そして美人でした。
盆と正月しか会わない伯母でしたが、私は美しい伯母が眩しく見えて、ずっと憧れていました。

大学1年の5月、私の19歳の誕生日を伯母が祝ってくれました。

「プレゼントをあげようかと思ったんだけど、何がいいかわからなくて・・・」

「俺、伯母さんが欲しいな!」

冗談っぽく本心を言いました。
笑い飛ばすことも出来るように。

「俊夫君は女の人と経験はあるの?」
「ないよ!」

「じゃあ伯母さんに童貞をくれるの?」
「欲しい?」

「近親相姦よ」
「避妊すれば・・・」

「その必要はないんだけどね。もう半年来てないし・・・」

当時伯母は50歳、閉経を終えたばかりでした。
50歳の伯母の裸はとてもスレンダーでした。

「おっぱい、あんまり大きくないから、伯母さんの・・・」

可愛らしく恥じらっていましたが、私の勃起を見ると・・・。

「俊夫君・・・立派になったわね・・・。伯母さん、男の人とこういうことするの十何年ぶりかしら・・・」

伯母は足を開いて、右指をV字にして陰唇を広げて、神秘の膣口を見せてくれました。

「伯母さんは結婚しなかったから子供も産んでないし、セックスだって大学生の頃に初体験して、その後は勤め先の先生と不倫して別れて、また別の先生と不倫して別れて・・・。気付いたら30歳も半ばがすぎちゃってた。バカよね・・・」

「伯母さん、美人だからこれからでも間に合うと思うよ・・・」

「でも、子供はもう産めないわ・・・」

初めて味わう女体は血縁者・・・。
伯母に導かれるままに生挿入して腰を振りました。
知的で美しい高校教諭の伯母が甥の陰茎で激しく喘ぎました。

「ああん、ああん、す、す、すごい、あああ~~」

濃い血で繋がる肉体を交え、罪深い姦淫に耽りました。

「伯母さん、出そうです」

「俊夫君、いいわよ。そのまま中に出しなさい・・・」

ドクドクドク~。



31歳の年の差を超え、近親愛に狂乱する伯母と甥。
許されざる姦淫でしたが、私は叔母を愛し、伯母も私を愛してくれました。
閉経したとはいえ、伯母の子宮に甥の精液を注ぎ込む・・・。
私は神をも恐れぬ肉親中出しに溺れていました。
時には温泉地へ赴き、和風旅館で、あるいはリゾートホテルで、子供のいない伯母の息子になりきって、バーチャルな母子相姦旅行もしました。
旅館に着いてすぐ、就寝前、朝起きてすぐ・・・。
ティッシュで山盛りの屑籠を見て、旅館の仲居さんはどう思ったでしょう。

今思えば、近親姦の甘美な罪の意識に悦楽を覚えていたのは伯母の方が強かったのではなかったかと思います。
子を持てなかった伯母が私に向けた母性と共に、その肉親の愛情が禁忌の中出し相姦を興奮の坩堝に落したのだと思います。

兄の息子と生セックス。
そして、その精液を体の奥に湛える快楽。

伯母にとって幸せな4年間だったのでしょう。
私が卒業して実家に帰るとき、伯母は涙を流していました。
私も愛する伯母とは別れたくありませんでしたが、この関係をいつまでも続けられないことは分かっていました。

伯母とは週に4日はセックスしました。
週末などで泊りがけの時は2度3度と交わりましたから、4年間で伯母に射精した回数は1000回くらいになるでしょうか。
伯母の美しかった陰唇は4年間でドドメ色になり、年齢相応の佇まいになりました。
私の陰茎も伯母の愛液で赤黒くなり、まるで既婚者のようになりました。

昨日、伯母の告別式がありました。
71歳の伯母は誰にも気づかれずに家で倒れ、そのまま静かに息を引き取っていたそうです。
伯母の家の居間には、大学4年生の時に旅行した伊豆の海辺で撮った私とのツーショット写真が飾ってあったそうです。
その写真は伯母の形見として私が貰いました。
美しい顔で微笑む伯母は当時53歳でしたが、写真の伯母は30代後半に見えました。

大学卒業後、私は地元で就職して、やがて一目惚れした4歳年下の妻と26歳で結婚しました。
初めて妻を見た父は、こう言いました。

「いやあ、姉ちゃん(伯母)の若い頃にそっくりだなあ・・・」

結婚式にやってきた伯母も、妻を見てとても嬉しそうでした。
理想の女性であった伯母に童貞を捧げ、伯母の面影を残す妻の処女を貰った私・・・。
女性はこの2人しか知りませんが、2人とも心から愛する女性です。
伯母は天国に旅立ちましたが、私の心の中でいつまでも生き続けています。