母の可愛いらしい仕種に私は再び母の中に挿入していました

私は25歳の会社員です。父は早くに亡くなり、母は女手一つで私を育て大学まで行かせてくれました。母には感謝していました。私と母が男女の関係になるまでは。
全く、私の勝手でした。受験のストレスと思春期の憂鬱を力で母に向け思いを遂げました。それから現在まで私は、母と女として関係し続けました。
7年も実の母とSEXしていると互いの身体の隅々まで解り‥まるで夫婦同様の間柄です。
さすがに母からは求めて来ませんが、私が求めると母は熟れた身体を開いて私を受け入れてくれます。

最初こそ母との相姦にぎくしゃくした関係でしたが、私が就職して別に部屋を借り、週末帰ると母は明らかに私との関係に胸をときめかせ、息子との姦淫に身体をうねらせました。
今年52歳の母は年齢より若く、身体も熟女そのものです。

母とのセックスは欲求を果たす事から「愛」に変わったようで私自身、結婚しないで、ずっと母と暮らす事を考えています。

目鼻立ちの整った母とキスしながら、私は母の舌を様々な角度から吸い舌を絡ませながら、母の耳元で「母さんのおまんこで射精していい?」と聞くと「ダメ、ダメ‥外に射精して」
母の苦悶の表情も私の興奮の材料です。

母の豊かなお尻を両手で開きながら、母の性器とアナルを見ながら私の性器を何度も、何度も突き立てます。



四つん這いの母の身体を堪能しながら、母に女としての悲鳴をあげさせます。

私の温かい液体を母の背中に吐き出し、私は母の身体に満足するのです。

私は母の背中に吐き出された自分の液体をティッシュで拭いながら今、自分の性器が挿入された母の性器の肉を開きながら、漂う母の色香を確かめました。

四つん這いの状態で母の背中は大きく隆起しています。
「気持ち良かった?母さん」背中で私の言葉を聞いた母は何も応えませんでした。

息子との身体の関係を悩みながらも、女として反応する身体を自分でも罪な事と感じているのでしょう。

母は四つん這いの状態を崩しました。

その瞬間、母の性器から「ブフゥッ」と私の性器がピストン運動の際に母の中に送り込んだ空気が逆流して音を立てたのでした。

「キャッ、ャダア」
母は驚いたように声を上げ私に訴えるような表情を見せました。

私の身体の下で、両脚を開いた母の黒々と繁った陰毛と女を醸し出したウエストライン。
豊かな乳房に黒い乳輪と勃起した乳首。
母の可愛いらしい仕種に私は再び母の中に挿入していました。

両手を私の背中に回し、2度目の私を受け入れながら、母は腰を上下してくれました。

私は母の両脚を肩口まで抱え上げ、母の膣で蘇った性器を出し入れし、喘いだ女の顔を眺めながら母を愛しました。