ドクドクと僕の精液が母の身体に流れ込みます

雪が降ると思いだします。
僕は高校生の時全日本のスキーの選手でした。
ノルデイックとアルペンが有るのですが、僕はアルペンが好きで滑降の選手でした。
赤倉スキー場で大会が合った日です。
回転競技の選手でしたが、大回転を希望しました。
先生は反対したのですが、たっての僕の希望で、大回転競技にでました。
最初滑り出して、大きな谷を越えて、左にカーブするコースは難所でした。
この場所でスピードを落とすと予選も通りません。

無理を知っていながら、私はコオーナーを広くとって、回転しましたが、勢い余って眼の前の崖に落ちてしまいました。

足は何ともなかったのですが、両手の複雑骨折でした。
それか両手のない入院生活が始まりました。

高二でしたから、性欲が張りきっていましたが、なにしろ両手がありません。
性器が膨れ上がっても、オナニー出来なかったのです。

それでも、ギブスの両手を下におろして、無理な姿勢でおったった性器を挟んで擦りました。
でも刺激が少なくて、行かないのです。

夢中になっていたら、母が部屋に入って来るのを知りませんでした。
僕の姿を見て、母が無言で僕の性器をつまんで擦り始めました。
僕は驚きました、母の動かし方はとても丁寧で慣れているやり方でした。

僕は母さんいく・・といって、母さんの手の中に濃い精液をドクドクと出しました。
母は笑って、拭いてくれました。
またいつでも、いいなさい、母が優しく耳元で云ってくれました。
母さんありがとう、僕は擦れた声で母に礼を言いました。



翌日母が来て無言でベットの中の僕の性器をしごいてくれました。
僕は母にいいました。

母さん、僕のおちんちん 母さんの中にいれたい!
そういうとビックリしてましたが、母がそう、といいながら、病室のカギをしめて
僕の眼の前で豊満なオッパイをだして、僕の顔に突きつけました。

吸っていいのよ 
母が優しく僕にいいながら、パンテイを脱いで、黒々とした性器を僕の目の前に突き出しました。

性器の匂いがたまらくしました。
鼻の穴を広くして思い切り、母のおまんこの匂いを吸いました。

やがて、母が、そっとベットに乗って、オマンコをあてて、いきり立った肉棒にブスリと差し込みました。

流石の母もその瞬間アハーと云って、のけ反りました。
自分で身体を支えて、腰を上下して、肉棒とオマンコが吸いつくように揉み合いました。

やがて、僕が逝く行く母さん というと、母さんも喘ぎながら逝く行くといい、痙攣したまま、腰を上げました。

ドクドクと僕の精液が母の身体に流れ込みます。

「気持ち良かった?」
母が僕の縮小した肉棒を握って云ってくれました。
うん、僕は肯きながら母の唇を吸いました。

退院してから、母とは関係してません。
母の愛はあの時の僕を可哀想と思って、やってくれたのでしょうか。
聞く事も出来ませんが、母は素知らぬ節をして父と食事しています。

これでいいのかもしれません。
優しい母が見せた、たたい一度の行為でした。