叔父に処女を奪われて私の人生は変わりました

早くに両親を亡くし、叔父の家で育てられました。
実の子供同様に扱われ、特に寂しい思いをしたことなどはありません。

高校2年の時、酔って帰って来た叔父が私の部屋に来て、初めはふざけて抱きついたり体に触ったりしていました。
ところが次第に叔父は興奮してきて、私の服を脱がしてしまうと本気で覆い被さってきて、ついに抱かれてしまいました。

それから叔父はしばしば私の部屋を夜に訪れ、私の体を求めました。
誰にも相談することもできず、私はされるままでした。
汚らしく、恥ずかしく、嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、次第にその行為の快感を体が覚えていくのを止めることはできませんでした。

そんな関係のまま、叔父は私を短大まで出させてくれると、叔父の経営する広告会社に勤務させるようになりました。
全社員10人余りの小さな事務所でした。
他の誰とも付き合うことなく、叔父だけと濃密な関係を続けていました。

その頃、叔父の長男(従弟)が高校生になっていました。
ずっと姉弟同様に育てられたのですが、その従弟が叔父と私の関係に気づき、「汚らしい」と私を罵るようになりました。
ある夜、叔父が留守だった際、些細なことから激昂しはじめて、「どんな風にして親父とやってるんだ?」「いつもどんな格好でやってるんだ?」などと言ってからみ、答えないでいると私を殴って服を引き剥がしました。
そのまま押さえつけられ、暴力的に犯されてしまいました。

その後も叔父が留守のときには従弟は横柄に振舞うようになり、私を「メス豚」と呼んで、逆らうと暴力を振るいました。
しばしば私は裸にされ、跪いてフェラを強要されたり、四つん這いにされて後ろから犯されたりしました。

そればかりか、あるとき昼間に3人の同級生を連れて来て、私を部屋に呼び、「これがメス豚だよ」と彼らに紹介しました。
その場で服を脱ぐよう言われました。
私は逆らうことができず、彼らの前で全裸になり、言われるままに性器を開いて彼らに見せました。
その後、順番にフェラチオをし、代わるがわる犯されました。
口にも性器にも、彼らは幾度も幾度も射精しました。

そんなことが何度かあって、いつしか叔父も、私と従弟の関係に気づいたようでした。
叔父はむしろそのことを、私の叔父に対する裏切りと取ったようで、態度は冷酷になり、私の体に触れることもなくなりました。
そして私が従弟の玩具にされるのを、知らないふりで放任するようになりました。



その年の社員旅行の席で、叔父は私に復讐をしました。
夜の宴会の席で、「この女は最近思い上がってるから、お仕置きしてやらないといけない」と言い出し、みんなの前で裸になるよう命じました。
女性事務員は私の他にはずっと年配の女性が1人だけ(この人もかつては叔父の愛人であったようです)で、後は男性ばかりの席です。

私が立ちすくんでいると予め打ち合わせができていたのでしょう、何人かの男性社員が私を後ろ手に縛り、床に寝かせて浴衣を脱がせていきました。
すっかり裸にされ、みんなで体に洗濯バサミをつけたり、性器に異物を入れたり、陰毛を剃って写真を撮ったりして弄んだ後、一室に運ばれて、そこで全員の社員に順番に犯されました。
朝まで代わる代わる抱かれて、時々裸で部屋の外に連れ出され、四つん這いで歩いて浴場に連れて行かれ、そこで体を洗わされたり、フェラチオをさせられたりしました。

旅行から戻った後、私はほとんど仕事は与えられなくなって、代わりに来る日も来る日も全社員の性欲処理をさせられるようになりました。
ほとんど毎日ノーパンで過ごし、誰かに「おい、便所に行くぞ」と言われたらついて行ってトイレの個室で社員にフェラチオをし、あるいは立ったまま壁に手をついてお尻を突き出して、背後から挿入されるのです。
1日に何人も相手をします。

時々は、取引先の会社などに何かのお届けものを持って行ったりします。
そうした際もノーパンで、予め叔父から連絡が行っているので、取引先の方も私を玩具として扱います。
先方の言われるまま、その場でストリップをしたり、オナニーをして見せたりしたあと、だいたいは複数の男性社員に抱かれます。
時には夜の接待に連れて行かれて、野球拳をしたりストリップをしたり。
気にいられればそのまま誰かに抱かれ、そうでなければ社員の遊びに付き合わされて、野外プレイをさせられたり、電車の中で痴漢プレイをしたり。
社員の中には自分の小遣い稼ぎに、そういったプレイの好きな方に私の体を提供させたりする者もいました。
休みの日も家にいれば、従弟とその友人たちの玩具です。

私は疲れきって、昨年黙って家を出ました。
頼る人もないので、風俗の世界に入るしかありませんでした。
ピンサロ、イメクラなどに勤め、最後はSMクラブに落ち着きました。
私は今のところM嬢専門で頑張っています。
本番はない店なのですが、断れない性格なのでしばしば本番まで。
そのせいか常連さんもついてくれて、今のところ生活には困っていません。