私も19歳の時に、母と初めて関係を持って以来、結婚して33歳になった現在でもその関係は続いています。
私が母を性の対象として意識するようになったのは、高校1年の時からでした。
夏休みに田舎の祖母の家に遊びに行ったとき、たまたま内風呂が壊れて使えないというので、昔、使っていた庭の五右衛門風呂を使うことになって、そのとき、風呂に入っている母の裸を雨戸の節穴から覗き見して、母の陰部や乳房に興奮した思い出があります。
そのときに見た母の裸は女盛りのポチャッとした感じで、胸が大きく色白で大き目の乳輪は薄茶色をしていました。
それ以来、母への思いを募らせていった私は、母がトイレに入ったときに、庭に回ってトイレの掃きだし窓から覗いたり、洗濯かごの中から、母が脱ぎ捨てたパンティを盗み出してはオナニーにふけったりするようになりました。
しかし、それ以上にエスカレートすることもなく、私は大学へ進学し、両親とは離れて生活をするようになりました。
しかし、ある日、久しぶりに実家に帰っていた時に、偶然にも父と母とのセッ○スを見てしまってからというもの、また母に対する性的欲望にメラメラと火がついてしまいました。
その日は、地元の友達とカラオケに行って夜遅くまで遊んで、実家に戻ったときは、深夜の12時を過ぎていました。
玄関は鍵が掛かっていて、両親はすでに寝てしまった様子でした。
私はあいにく実家の鍵を持っていなくて、両親を起こすのも悪いと思い、塀をよじ登って2階の窓から部屋に入ることにしました。
高校時代からよく夜遊びして帰ってきた時に、塀をよじ登って部屋に戻っていましたが、塀の間には、その時のまま、踏み台が隠してありました。
踏み台には、引き上げる為のロープが結んであって、その端を手に巻きつけると、踏み台に乗って、塀の上によじ登りました。
その時、塀に近い両親の寝室のランマの隙間から薄明かりの中で激しく動いている素っ裸の両親の姿が見えたのです。
もの凄いものを見てしまって、私は塀の上でしばらく、手足が震えて動けませんでした。
遠くで車の音が聞こえて、ハッとした私は、慌てて踏み台を引き上げると2階の部屋に入り込みました。
自分の部屋に戻ってベッドに入っても、今見た母の白い肌やイヤらしい動きが瞼に焼き付いて頭から離れませんでした。そして私はいつの間にかそのシーンを思い出しながらオナニーをしていました。
翌日、私は大学の用件があって、朝早く実家を出発しましたが、その電車の中で、うとうと眠りながら、次第に「もう一度、母のセッ○スを見てみたい」という欲求がわき上がってきて、さらに「母とセッ○スしてみたい…」と強烈に思うようになり、気がついてみたら、母とセッ○スをしている夢を見て夢精してしまい、チノパンの前チャックの横に大きな濡れシミを作ってしまって、電車の中でとても恥かしい思いをしました。
その半月後、私の一人暮らしの様子を見に出てきた母を、私はとうとう犯してしまいました。
初めは「ちゃんと食事とってる?」「うん食べてるよ」「元気にやってるかなって思って…」
「うん元気にやってたよ…」などの会話をかわしていました。
貞淑で、聡明な感じの明るい母なので、かなり抵抗されるという不安はありましたが、私は考えたあげく、真っ向から「こないだ、母さんと父さんがセッ○スしているところを見てしまって、僕もしてみたいよ…」と母に打ち明けました。
慎重に母の様子を伺いながら、少しずつ父と母のセッ○スの一部始終を見たとおりに話して、あの時と同じことをしたいと頼み込んだのです。
母は、かなりショックを受けた様子で、長く沈黙したあと、困惑しきった表情で、意外にも「秘密を守れる?…、一度だけよ…」と言って、体を許してくれたのです。
私が19歳で、母が45歳でした。
はじめて自分の勃起したペ○スを母の温かい膣穴に挿入したときの興奮と快感は、とても忘れがたいものでした。
母も最大限に勃起した私のペ○スを気持ちよく締め付けてくれました。
その時の、母親と近×××をしているという興奮と快感は体験した人でないとわからないと思いますが、私は無我夢中で腰を動かして、今までの母への思いをぶつけるようにドクッドクドクッと大量の精液を母の膣穴に放出してしまいました。
生で実の母親の膣の中に射精する快感と母を征服した満足感に浸りました。
終わったあと、母は私の顔をあまり見ようとしませんでしたが、母親らしく、私のペ○スの後始末から着替えまで、優しく世話をしてくれました。
そんな母の仕草を落ち着いて見ていたら、私はこれで、一生、取り返しがつかない、とてもいけないことをしてしまったんだ思いました。
しかし、母子××の興奮と快楽は強烈なもので、一度経験すると2度、3度と続けてしまって、ガマンできなくなくなるもので、母が私のアパートに居る間は、今日は、授業が無いからと言って昼間から母とセッ○スをしました。
母が実家へ帰る前日は、もうしばらくできなくなると思って、朝まで何度も母とセッ○スをしました。
もう、母も私の名前を呼び続けながら何度も逝くようになっていました。
帰り際に妊娠のことが心配になって母に聞くと、「もう生理は上がっているから、心配いらないの…」と恥かしそうに言っていました。
その時、母が私に体を開いてもいいと思ったのは、絶対に妊娠しないという安心感があったからかも知れないと思いました。
その後、私は、大学を卒業しても、就職の関係で、実家へは戻らす、私はずっと一人暮らしをしていましたが、その間、月に数回、母と会って性欲の処理をしてもらいました。
久しぶりに母と会うと、どちらからともなく、体を寄せて唇を重ね、暫くキスしたあと、裸になって、お互いの体をむさぼり合いました。母も久しぶりのセッ○スを堪能し、私が何度も母を突き上げて膣内に射精するころには、私にしがみついて、愛らしい喘ぎ声を出して絶頂を向かえていました。
その後、私が28歳の時、世間体があるからと言う、母のたっての勧めで、見合い結婚をして、二人の子供をもうけました。
今年、私は33歳になり母は59歳になりますが、母の体はあまり変わりがなくて、いつも奇麗に見えます。母は、私とのセッ○スで若返っているのだと言いますが、母とのセッ○スは妻とは違って、年齢を感じさせない、とても深い絶頂感を私に与えてくれます。
結婚後も月に一度は、実家の郊外のラブホテルで母と会ってセッ○スを楽しんでいます。
母は私が望むことのすべて受け入れてくれます。
ホテルのビデオで見たことでも、母の方から私に試してみたい?って聞いてきたり、いろんなことをしてもいいのよと言ってくれます。
最近では、仕事で疲れた時や、ストレスが溜まった時、或いはムシャクシャした時など、私は母をホテルに呼び出して母のアナルに勃起したペ○スを挿入して思いっきり中で射精してスッキリさせてもらっています。
母は妻より、はるかに私の欲望にあわせてくれて精神的な安らぎを与えてくれるのです。
それは母親だからこそ…でしょうが、この素晴らしい近×××の世界を続けられる限り私は堪能していきたいと思っています。