私は56歳、主人は58歳の二人暮らしです。
夫婦の営みは少なく多くて月に2回が限度、主人は弱いようですが外に女が居るそうです。
昨年私も不倫して、一年足らずの間に十数お遊びを致しましたが、余りにも心優しい方で情が移るのが怖くなり、お別れをしたのです。そして昨年の11月、とついだ娘も無事に出産し、初孫(女の子)見たいし娘婿さんの食事等の世話の為、喜び勇んで京阪神のアパートに駆けつけましたの。予定は娘が退院するまでと決めて出かけました。
まずは病院に行き可愛い孫を見て安堵し、2年も妊娠しなかった娘を褒めたたえました。
嫁に出せば初孫の顔が見たいのは、親ばかな考えですが言葉で表現できません。
お手伝いする要件を娘に教わりアパートに帰りました。
可愛い娘婿さんのお世話ですが、朝夕の食事や掃除洗濯です。
自分の家でなく勝手気ままになりません。
最初の日は娘婿さんも休暇を取り、夕食は外食で済ませアパートに帰り、風呂に湯を入れてから二人お祝い名目で、缶ビールを頂きました。
私はアルコールに弱いのでほんのり酔った気分でした。
娘婿さんは「先に入るよ」と言い、着ている物を脱ぎブリーフ一枚になって、浴室に向かったのですが、その時に気が付いたのです。
既に勃起していたらしく、こんもりと山の様になっていたのが見えたのです。
ご無沙汰のせいか厭らしい事を思い出し、手でオマンコを触ると既に濡れていたので、テレビを見ながらオナニーに耽っていると、知らぬ間に後ろに娘婿さんが、黙って立っていたのに驚き声も出ませんでした。
「お母さん綺麗ですよ!俺も当分ご無沙汰なので困っていたんだ、手で扱いて処理していたが、此れを見て限界だよ、お母さんが居るから立ったんだよ、お願いだから責任を取ってほしいな」私は二の句が出ませんでした。
本心から言っているのでしょうし、私も疼いていますから少し間を置き、「お風呂に入らせて・・・」と言い入浴して綺麗に流して、バスタオルを巻き覚悟をして、ソファーに戻ると缶ビール片手に、勃起したオチンチンを触っていました。
私は傍に座り覚悟を決めて、「娘には内緒にしてよ、こんなオバサンでも良いなら、好きな様にして下さい、娘の変わりが出来るなら嬉しいのよ」と誘ってしまいました。
その気になったのか、「お母さん咥えて欲しいですよ」と、注文を付けてブリーフを脱ぎ、いきり立った見事なチンチンを見せられると、我慢できず大きく口を開き咥えて頭を振りました。
主人の竿より立派ですし硬く茎部の血管は浮き上がっています。
此れまで5?6人の男性と関係しましたが、若い男は初めてなのでウキウキ気分になり、ひたすら頭を振っていましたら、「お母さん今度はお返しをしますよ」と、キスから始まり耳からウナジ、そして子供の様に乳房を吸われ、揉み扱かれて揚句の果てはM字開脚にされて、オマンコと肛門を舐められ弄られ一度逝ってしまい、意識は朦朧としていまいました。
その後でバックからオマンコを押し広げる様に、娘婿さんのオチンチンがヌルヌルになったオマンコに押し込まれ、腰を激しく振られ数分だったと思いますが。
クリを弄られながらの運動に満足だったのか、声を出していたと事後に聞き顔を隠しました。
「お母さん最高だったよ」と言われ、「お手伝いが出来て私も嬉しいわ」と言い返し、お口で綺麗にお掃除をしてあげると、「お母さん叉お願いします」と頭を下げられたので、「良いわよ貴方のお手伝いに来たのだから」と答えたのです。
私はお風呂でシャワーして隣の部屋で床に就きましたが、眠る事が出来ず、時計を見るとまだ11時なので、隣の娘婿の部屋に再び足を運んでしまったの。
娘婿さんも興奮していたのか、パジャマ姿でベットで横になり、暖房をきかせてテレビを見ていましたが、突然の訪問者を歓迎して下さり、厭らしいエロビデヲをセットして、私の着ている物を取り去り、自分も全裸になると既に半立ちになっていました。
愛撫は程ほどにして硬さが増したオチンチンで、串刺しにされ正常位で一度出され、次にはアナルを弄られお尻で受け入れてしまいました。
私はアナル経験者なのでさほど痛みもなく挿入出来、直腸に娘婿さんの射精を受けたのです。
そのまま同じ床で一夜を過ごし、朝6時ごろにオマンコに出され、4回も体内に若い精液を受け入れ大満足でした。
朝食はトーストと牛乳と目玉焼きで我慢してもらい、機嫌良く出社して行きました。
娘が孫と退院するには普通でも、一週間はかかりますので、この様な事が毎日かと思えば、嬉しかなしながら不安にも思ったのでした。
娘に対する罪悪感が今にも思い出されるのです。
私は一年ぶりに一夜に4回の射精を受けたのですから、娘婿さんが出勤されてからは、朝食の後片付けを済ませると、昨夜の行為のせいなのか軽い疲れで、ソファーに横になると一寝入りしてしまいました。
午後は夕食のお買い物を兼ねて、病院に顔を出す予定にしていましたの。
11時前くらいでしょうか、娘婿さんから電話が入り、遅くなるから夕食は不要なので、お風呂だけ用意して欲しいとの事。
今夜は手料理を食べさせようと期待していたので、理由を聞くとか弱い声で「仕事でミスしたんだよ」と言い電話を切られました。
何事か解かりませんが気になります。
朝までに4回も絡みましたので、仕事中にその事を思い出し、ミスしたのではないかと不必要な事を思ったのです。
私も思い出しただけで左手はオマンコを触り、弄っているとジンワリと濡れてきたので、カーテンを閉じてソファーにもたれて、本格的にオナをしてしまいました。
お昼はコーヒーだけにして病院の食堂で、軽くウドンを食べて孫の顔を見て、その後抱き上げましたが目をつむり、両手はコブシを動かしています。
娘には似ていない様に見えました。
余り大きくなかった娘の乳房も大きく見え、母乳も良く出るそうで安心したのです。
4人部屋ですから大きな声で話せないので、小声でヒソヒソとお産に付いて聞いたり、貴方を生んだ時は自宅に産婆さん(今では助産師)が来て取り出したことを聞かせると、黙って聞いていました。
帰ろうとした時に娘は小声で、「お母さん悪いけど旦那の心身の面倒も見てやって欲しいの、お願いだから・・・」
驚きの言葉を聞き「どうゆう意味なの?解からないわ?」すると娘は「アチラの処理もお願いします、おかあさん」既に昨夜関係を済ませていましたが、知らぬ振りをして、「望むなら構わないけど」良かったわと娘が言いました。
帰る前に聞いたのですが、夫婦で話し合いをしていて、他人の女に手を出すと問題もあり、金銭も掛かるし、父母は不倫の体験者同士を知っていたので、安心して任せられると娘さんの作戦だったと言われ、胸をなでおろす事が内心出来ました。
病院を後にして近くのスーパーにより、好きな焼肉とお野菜を買い、早足でアパートに帰り自分だけの夕食を作り、お風呂も済ませおビールを頂き食事も済ませて横になりました。
昨夜の関係は娘の望んでいた事なので安堵でき、2時間も寝ていましたが目が覚めても未だ9時です。
今だに娘婿は帰宅しませんので、心配は高まるばかりでした。
床に就くわけにもいかずテレビを見ていると、10時過ぎに帰って来たのですが、少し酒臭い臭いがしたので「飲んできたのでしょう、お車に乗って出たのに」乗って帰っています。
お帰りと迎えましたが、その後にはオバサンらしく厳しい注意をしてしまいました。
「子供が生まれたばかりなのに今後は飲まないと約束しなさいと」黙って頷いてくれました。
何処で飲んだか解からないですが、事故なしに警察のお世話にならず帰って来れたのは幸いでした。
直に風呂に入らせて後で訳を聞くと、「お母さんには関係ないよ、黙って今夜も俺の相手をして欲しいんだ」私は「訳を聞かないと受け入れませんよ」仕方なしかシブシブと話してくれたのです。
内容は電話で契約交渉時に金額を間違え、先方のお得意先の上司さん怒鳴られて、揚句の果てには上司も怒鳴られ、交渉がご破算になる話も出て、午後は緊急会議が持たれ、お詫びに社長以下スタッフ6名で、得意先に行く事になったそうです。
今の不景気の時代ですから、5000万円の取引は魅力があったのでしょうが、私にはわからない事でただ聞くだけでした。
「お母さん明日から3日間は出張して、相手社長の機嫌取りをしてゴルフ等、夜の接待までする様に」支持されたと言いました。
その関係で今夜も私を抱きたかったのでしょう。
一応訳を聞いたのですから、夫婦の部屋に入りお互い全てを脱ぎましたが、昨夜と違い半勃起で元気がありません。
精神的にショックを受けて居るので、したい気持と相反するのでしょう。
昨夜の様に愛撫もしてくれません、私がリードする様にオチンチンや玉玉を、細い白魚の様な指で握り、お口を駆使して吸いなめしていると、時間が掛かりましたが昨夜と同じ位になりました。
でも主人と違い時間は10分足らずだつたと思います。
元気になると起き上がりタンスの引き出しから、アナルバイブと膣用の極太いバイブを取り出し、私のバックから多毛でべとついたオマンコの毛を分け差込、次にはアナルにツバを垂らし押し込んで、スイッチを入れられると暫く我慢がしていましたが、ついに声を出し「オマンコに頂戴」と、催促してしまいました。
するとオマンコではなく口に咥えるように言われ、大きく開て受け入れると、座位にさせれれて腰を振り、私の頭は両手で支えてくれていました。
唸り続けるニブイバイブ音も無視して、やがては口内に射精され「お母さん飲んでくださいよ」と言われて、全てを飲み込みました、ネバリが強く子供が風邪引きの時に出す、ジンキバナのようでした。
射精しても萎える気配も無く硬いまま、私はオマンコのバイブを抜いてもらい、替わりに15cmあまりのオチンチンが入り、リズミカルに抜き差しされ、すらりとした脚をお尻に巻きつけたのです。
時には乳房も吸われ叉クリを転がされ、時にはアナルバイブを剥き差しされると、我慢できずに「気持良いわもっと虐めてー」と言ったのは覚えています。
何分間攻められたか記憶に御座いませんが、射精したのか腰をオマンコに目一杯押し込むようにして止まったのです。
暫く圧迫されていましたが、オチンチンを抜きアナルバイブも抜かれると、白く粘った液が肛門までダラリとにじみ出てきました。
見た時には自分でも厭らしく感じたのです。
「お母さん有難う・・・」の優しい言葉を聞き、二人でお風呂で洗い合い、その夜は別々に床に付き、朝は昨日と同じ様に送り出したのです。
お仕事のお話が上手く治まれば良いと思いつつ、二夜は寂しい思いがするような気がしたのです。
私は淫乱なのかな?と思えました。
家事の手伝いは二の次になり、娘婿さんの性処理オバサンと思えるでしょう。
娘婿さんも3夜目、4夜目とアパートを留守にしたので、一人で暇を持て余しましたが、お掃除をする為各部屋を調べたのです。
夫婦の部屋のゴミ入れにはティシュが丸められて、多く入っていて黄色くシミが付いて、硬く乾いていましたので、娘婿が自分でオナニーしたか、娘が処理して片づけを忘れのだと思いました。
例のタンスの引き出しを開けてみると、コンドームのグロス箱が5ケースあり、そのうち一ダースは減っていました。
大人の電動バイブも膣用、肛門用と十数本あり、アナルプラグも二つ見つけましたが、触らずに元に戻したのです、娘も夫婦でアナルプレーをしていたのだと、確信致しました。
夫婦ですから合意で行うならば、どの様な行為でも部外者から口出しを出来ないでしょう。
私のオマンコは思っただけで濡れてきたのが解かりましたが、掃除機で丁寧に吸い取りゴミ箱の中は捨てました。
臭いを嗅いでみたのですが何も解かりませんでしたわ。
二日間は病院に面会に行くだけで、話も余り無く少しいただけで直に帰宅したのです。
5日目の夜は娘婿は外食を終えて遅く帰り、好きなニギリ寿司も食べず翌朝私が食べたのです。
アパートには遅くなるから食事は不要とルスデンに入っていましたので、私のチョンボだったのです。
今夜はおそらくさせて欲しいとせがんでくると思いましたが、風呂に入り缶ビールを飲んでいる時に聞きましたら、昨夜の接待の関係上旅館の仲居さんと、2時間愉しんだと白状して妻には言わないでくれと、念を押されたので伝える気はありません。
その夜はお疲れなのかおとなしく寝てしまい、私は想定外の思いをさせられました。
翌朝は普通通りに起き朝食時に、私の知らぬ事を聞かされ驚きました。
8日目には病院が満床の為退院する事と、娘婿の姑さん夫婦が前日から一泊しに来ると聞いたのです。
その前日には私が居ない方が良いと思い、翌日帰る予定が頭に浮かんだのです。
出社前に「お母さん勝手な事ですが、今夜はイヤになるまでその綺麗な体を俺に任せて欲しいです、お願いします・・・」と言い出かけました。
午後病院に行くと娘から聞きましたが、即ケイタイで旦那に電話していたのでした。
その他にも関係してお母さんで満足しているむねを伝得ていたのか、娘から肉体関係の御礼を言われたが、黙って聞いていただけでした。
その後に「あらーそうなの?」と返しました。
娘は退院までいて欲しい口ぶりでしたが、気ままは言えないと諦め涙目でした。
今日でお別れするがあなたは私の子だから何も泣く事はないのよ、解かるでしょう・・・その言葉を残し病院を後にする時は、後ろ髪を惹かれる思いをしたのは事実でした。
帰路で何時ものスーパーでお買い物して、娘婿の大好きなチキンの腿肉から上げと、ニギリ寿司を買い帰宅しました。
お風呂も用意して待っていると、6時過ぎには帰宅し普通より約2時間位早かったのです。
慌てておビール出すとひと口のみ風呂に入りました。
出てくるとガウンをまとい、暖房の効いたダイニングのソファーで、喉を鳴らしながら飲み、
「お母さん仕事の件は無事に治まりそうだが、俺のボーナスは多少減額されるかも解からないけど、決定したわけでも無いので成り行きだよ、あの日はお母さんの体のことが、頭から離れず困ってたんだ、心配をかけて悪かったよ・・・」
「そうだったの私にも責任かあるの」
「そんな事何もないよ、俺の気が動転していたんだから、お母さん今夜はサービスして欲しいな」
「どんなサービスすれば良いのかしら?」
「決まってるじゃないお母さんの経験から、俺が喜ぶ行為をして欲しいよ、俺は動かずに寝ているから」
「頑張ってみるわ、最後の夜だから、もう少し頂くから注いでくださいよ」
「ハイハイ熟女のお母様」
・・・娘婿もほろ酔い呂律が回らず、食べる物も半分残して目を閉じました。
その隙を見てお風呂に入りシャワーを浴びていると、全裸で半立ちをしてお風呂に入ってきましたの。
後ろから抱き付きオチンチンを御尻こすり付けているうちに、本立ちになり私は風呂の縁に手を突き、バックから挿入され数分しんどい目にあいましたが、射精したら離れてくれました。
狭い風呂の洗い場に横になり。
タワシ洗いをして欲しいとせがまれ、オマンコに石鹸をつけ行いましたが、広さの関係上上手く出来ませんでした。
次には浴槽に入り潜望鏡をして欲しいと言われ、オチンチンを水面に出させて咥えましたが、アルコールのせいか本立ちもせず、途中で断念しました。
自分も諦めたのか風呂から上がり、寝室に入っていましたが「お母さん今夜も此処で寝てください」と言われ後片付けして横に入りました。
見ているとオチンチンを弄って元気にしようと、手が動くのが感じられると、可哀想な気がしてお口と手で協力してあげると、今一ですが回復してきたので、毛布等を跳ね除けて跨いで、オチンチンを私が穴迄誘導し、腰を下すと苦労の甲斐あって何とか入りました。
ユックリですが腰を動かしていると本立ちの硬さになり、動いていると「止めてよ」と言われたので抜くと、今度は「アナルに入れたい」と言い、恥を忍んで仕方なく応じ、跨りオチンチンを肛門に宛がいますが、苦労の末挿入出来たのですが、私が上になり動くのは初めてなので、ただひたすらにユックリ動く程度です。
私は快感も無く便意を感じる程度です、娘婿さんは気持良いの連発で、脚を伸ばして射精されたのです。
抜くと肛門から僅かの精液が垂れましたが、二人の陰部をティシュで拭き、パンティーは付けずパジャマを着て寝ました。
朝の4時前くらいでしょうか、トイレに起きた娘婿は私の下部を脱がせて、乗り掛かり愛撫なしに差し込まれ、腰を振り射精を済ませると、「おかあさんが来てくれたので助かったし、こんなに熟女が良いのかと思ったよ、有難うまた機会があればお願いします」と、独り言を言い寝てしまいました。
私は寝付かれずに早く起きて、帰り仕度の荷物をまとめ、娘婿と同時にアパートを出て、合鍵を渡して大阪駅に向かいました。
数年前までは里帰りお産が多くありましたが、最近は産婦人科医や小児科医が激減し、田舎では対応し下さるところは数少なく、遠方になるのが実情です。
その点都会では自分の好みの医院等に、お世話になれるので有難いですよね。
大きな病院を建てながら、医師不足の田舎は寂しい限りです。
これから後も期待をするのは無理でしょう・・・